今日の逸品

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手繰り寄せスイーツ

日付
2007-06-18 (月)
カテゴリー
今日の逸品

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今や、巷で評判の商品は全国中から取り寄せられる時代だが、身近にもスゴイ逸品はある。秋田市広面の大学病院前にある洋菓子店「多恵&要蔵」の「苺チーズプディング」(399円税込)がそれで、チーズ好きにはたまらないコクと重量感たっぷりの手ごたえに感動することは間違いない。この下手な写真とシンプルな見た目に油断してはならない。キャラメル風味のさくさくパイ生地の上に薄いスポンジ、苺ジャムをはさんでカスタードプディング、その上に濃厚なクリームチーズの生地、その生地に甘く煮た苺がごろごろ乗って焼かれ、上品なゼリーが寄せられている…どーよ!と半強制的に友人に食べさせ、ワクワクしながら感想を待った。
「うんうん、美味しい。え…、すごっ、すごい美味しい! おおーっ、美味しい何コレ!?」
完璧に予想通りの答えに大満足。

アサリのあくび

日付
2007-06-11 (月)
カテゴリー
今日の逸品

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昨夜から塩水に浸しているアサリが元気だ。間もなく熱湯に放り込まれて味噌汁の具になる運命とは知らずに、呑気にあくびなんかしている。でもこうやってニョキニョキ顔を出しているのを見ると、妙な親近感が生まれて「おはよう」なんて声をかけてしまうのが人で、お椀に盛られたら躊躇しないで食べてしまうのも人なのだ。
こんな時、「(あなたの命を)いただきます」という言葉はよくできたものだと思う。
昨日、パイレーツでメジャーデビューを果たした桑田投手の言葉に膝を打った。彼はこう言ったのだ。「人生はいいことばかりじゃないけれど、自分なりにプラスに変えていけばいいと思う。」
アサリさん、あなたたちの人生はどうだったか知らないけれど、最期にほら、近ごろ肝臓が弱りめの人間を救えたではないか。こういうことを言うからバブル世代は自己チューだと叩かれるんだけどね。

後輩の「Step By Step」

日付
2007-05-29 (火)
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今日の逸品

5月25日、本荘のビルヘンで、画家・佐藤耽泥(たんでい)氏の13回忌に合わせて「風のパーティー」が開かれた。本荘市(現・由利本荘市)出身の耽泥氏は帰郷の際、埼玉出身の妻・初美さんにこう言った。
「本荘は鳥海山という素晴らしい山が間近に見えるんだ。この山は活火山だが噴火は絶対しない。海岸沿いの街だから雪の心配もいらないぞ」
ところが帰郷した1973(昭和48)年の本荘は記録的な大豪雪に見舞われ、翌1974(昭和49)年に鳥海山はナント173年ぶりに噴火した。ある意味、逆予言である。慣れない雪かきに悪戦苦闘の初美さんは思った。
「最初に最悪を経験するって良いわあ」
それから20年後、アートコミュニケーションホール「ビルヘン」と、そこに集まる大勢の仲間たちを残して耽泥氏は逝ってしまったわけだが、私は残念ながらビルヘンの壁にかけてある遺影でしかお目にかかったことがない。同様の若手と、実際に故人と酒を酌みかわし、芸術と音楽と文学そして浮世のあれこれを語り合った方々が集まった。 
その中に若きジャズトランペット奏者の佐々木大輔氏も加わって、「枯葉」「A列車で行こう」「聖者の行進」など数曲を披露してくれた。このほど初の自主制作CD「Step By Step」を発売したばかりだという。居合わせたオジサン、オバサンたちは、由利本荘市出身の子は他人の子でも自分の子、母校が違っても我が後輩、年齢は離れていてもオトモダチ、という具合に、こぞって彼のデビューアルバムを買わせてもらったのである。今どき夢を描けるなんて稀有な若者だ、応援してやろうじゃないか、と遺影の耽泥氏が笑ったような…。2007_0526佐々木大輔CD0019.JPG 
↑ジャケットに私の名前入りでサインしてもらったため、開いた状態でアップ

粋な…

日付
2007-05-12 (土)
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今日の逸品

料理上手のよしこちゃんが塗りの重箱のふたを開けた瞬間、一同から歓声があがった。つややかな椿の葉をあしらって、色鮮やかにおいなりさんが並べられている。ところが味付けした“うす揚げ”に詰められているのは酢飯ではなく、茹でた蕎麦と菜の花というから何とも粋ではないか。花見の主役は桜からツツジへと移っても、それに乗じて集まる顔ぶれは変わらない。こうして仲良く、そして何年後かにはせめて粋な姥桜でありたいものだ。手前の小鉢は”ばっけみそ”やワラビのおひたし.jpg

すべてはこの一滴から

日付
2007-04-25 (水)
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今日の逸品

今年ではないが、ある冬の日のこと。実家の母が仕込んだ「どぶろく」をペットボトルに詰めて自宅に持ち帰り、冷蔵庫に保管していたことがあった。数日後、そろそろ今夜あたり飲んでみようと冷蔵庫から取り出してみた。【暖房の効いた室内】【密閉容器】【発酵飲料】となれば、察しのいい方なら予想がつくと思うが、そう、それ、たぶん当たり。幸運だったのは流し台の真上で開栓したことぐらいだろうか。
ペットボトルの口からシュワッとかすかな音が聞こえたかと思った瞬間、白い液体は天井めがけ恐ろしい勢いで噴出した。私はといえば噴き上がる“とっておき”を呆然と見ているだけで、左手に持っていたペットボトルは1分もかからず空になった。その大部分は排水溝へと流れ、他は流し台のカウンターに置いてあった観葉植物が呑んだ。
杜氏修業までしたことがあるやじ子は、日本酒が盃からこぼれると杜氏の苦労を思いやって「酒の一滴は血の一滴!」とよく言っていたが、血の一滴どころか、これではまるで大流血事件である。
そういえば能代の喜久水酒造で造っている「一時(いっとき)」は、危険なお酒というサブネームを持っていて開栓する際の注意書きが添えられていたはずだ。飲み手たちも畳にむざむざ呑ませてなるものかと真剣に開ける。こちらは本物の杜氏が、それこそ血をにじませる思いで造った逸品だから当然だろう。
―すべてはこの一滴から―
と、小舎で発行(発酵)した「耳を澄ましてごらん」の裏表紙にも書いてあるように、これを読んでくれている皆様たちの流す一滴の汗、涙、苦労も「血の一滴」としてちゃんと大事に受け止めてくれてる人がいると思うんだな。

チェリーさんのげんこつ

日付
2007-04-16 (月)
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今日の逸品

「美味しいんだけど男性客ばっかりだから女一人じゃ行きづらい」というヤジ子に誘われて、ホルモン煮込みの店に女二人で行ってみた。その名も「げんこつ」。コの字型のカウンターだけの店内は、壁の色といい店主のチェリーさんの渋さといい、なかなかの年季の入りようだ。平日は仕事帰りのサラリーマンたちで賑わい、座る席がなければ立ったままで焼酎なんかを飲んでいくそうだが、さすがに土曜の夜ともなれば客層はさまざまで程よい混み具合。
やがて一人の客が、柔らかく煮込んだホルモンの盛られた鍋を抱えて外に出て行った。聞けば鍋を持参すればテイクアウトも出来るんだそうだ。子供の頃に小さなボウルを持って豆腐屋さんに走らされたことを思い出す。何だか昭和という時代に出会えそうな店なのだ。サッパリ味の煮込みに数種類の串焼きと、花冷えの夜にピッタリの熱燗を注文した。
「アチチ…、うーん…沁みるぅ~!」
こういう美味しい場所って男性たちが隠してるんだよね。

こうでなくっちゃ

日付
2007-04-13 (金)
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今日の逸品

年が明けて稀代の暖冬も過ぎた。いよいよ北東北にも桜の便りが届く季節が巡ってきたということは、あらら…4ヶ月も幕間だったんだ、ひどいね(笑)。
少し前になるが、3月25日に「地球ぼうえい隊」というNPOが主催した出版記念パーティに出席した。小舎で発行した「耳を澄ましてごらん」の著者、小野田セツ子さんを囲むアットホームなパーティで、会場は秋田市御野場にある「木漏れ日のテラス」というパン主体のレストラン。友人たちによるフォルクローレやユーミン、ビートルズのスタンダードが演奏されて雰囲気を盛り上げる中、焼きたての香ばしいパンや具材たっぷりのサンドイッチ、サラダ、ケーキが彩りよく並ぶ。美味しい食べ物と音楽そして会話が揃うと、女性というのは本当に幸せそうな笑顔になるものだ。2個目のケーキをまさに口にしようとしている女性と目が合った。彼女は一瞬恥ずかしそうに笑ったが、そのブルーベリーのムースをパクッと食べるやいなや極上の笑顔に輝いた。いいなあ、食べるというのはこうでなくっちゃいけない。パーティも終盤になって、残ったパンやケーキはお持ち帰りくださいと箱や袋が配られた。中央のテーブルには山のように焼きたてのパンが追加で並べられている。知人や仕事の関係者たちと挨拶をかねて10分ほど話し込み、さて、どのパンをいただこうかなと後ろを振り返って絶句した。さっきまであんなに残っていたパンもケーキもすっかり消えていたのだ。やがて会場を後にする幸せそうな笑顔、笑顔。その彼女たちが大事そうに抱えているのは、はちきれそうに膨らんだ紙袋。いいなあ、お持ち帰りというのはこうでなくっちゃいけない。肩を落とす私にそっと小さな紙袋が差し出され、中をのぞくと1辺が2センチほどの小さなミルクパンが8個入っていた。ほんのり甘くて懐かしいミルクパン、どなたか分からないけど感謝感謝。


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遅めの夕食はサバイバル

日付
2006-12-28 (木)
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今日の逸品

正月も近いということで、昨夜は冷蔵庫の余りものを手当たり次第に使った。水切りして3センチ四方の正方形に切った木綿豆腐に粉をつけて揚げたら、すりおろしたショウガと豆腐が隠れるくらいにたっぷりと長ネギのみじん切りをのせて天つゆをかけて揚げ出し豆腐の完成。長ネギは小口じゃなくて、みじん切りにしたほうが美味しい。ついでに揚げた大学イモとシイタケの天ぷら、さらにはチャーシューを作った時の煮汁をスープにしたラーメン(一人分しかなくて取り合いの様子)を出来た順に運んでもらう。最後に子持ちカレイの煮付けを盛り付けて私もいざ食卓へ…無い! 揚げ出し豆腐も大学イモもシイタケの天ぷらも手作りラーメンも何も残ってない! 時計を見たら9時。なるほど、8時に帰宅した私が悪うございました。ふふん、こんなこともあろうかと大学イモだけは翌日のお弁当用に少し寄せておいたのだ、とほくそ笑む自分が哀しい。

やじ子の腕前

日付
2006-12-27 (水)
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今日の逸品

漫画は滅多に見ないのに、ひょんなことからハマッてしまった「のだめカンタービレ」。その15巻を持って帰宅途中にやじ子のマンションを訪ねた。ドラマ好きの彼女はテレビから「のだめ…」に入り込んだらしいが、印刷物には映像では表現しきれない楽しさがあるものだ。さて、やじ子宅。テーブルの上には焼いたハタハタ、そして小鉢に盛られた“もつ煮”が二人分ずつ並べられている。空腹を覚える頃合とはいえ、ことこと半日かけて煮たという“もつ”は臭みも抜けて柔らかく味もよく沁みて実に美味しかった。やじ子は一見すると包丁も握ったことがないように見えるが、実は調理師免許を持っているのだ。容貌も話術も優れているから小料理屋でも開けば繁昌するに違いない。と、そそのかしているのだが、なかなか腰を上げようとしないから困ったものだ。だが失敗作も半端ではない。たとえばマーボー豆腐事件。以下は彼女が作ったマーボー豆腐を一口食べた私のセリフから始まる。
「し、しびれる~。毒盛ったでしょ!」
「失礼な、毒なんて盛ってないわよ! (一口食べて)げっ、何これ…ホントにしびれる~!」
「ほらね。ああ、歯医者で麻酔を打たれたみたいにビリビリする」
「恐ろしくて味見してなかったんだけどさ、最後の仕上げで山椒の粉を一振りしようとしたら、蓋が開いてドバッと大量に…。いやあ、山椒って熱を加えるとしびれるのねー」
考えようによっては、しびれる料理屋っていうのも話題にはなりそうだ。

聖夜に、あつあつパイシチュー

日付
2006-12-26 (火)
カテゴリー
今日の逸品

例年のクリスマスイブは仕事を終えてからが勝負で、雪と渋滞の道をひた走りながら「あれを買って、これを買って、あれを作って、これを用意して」と車の中でぶつぶつ呟いていた。今年は日曜にあたった上、暖冬で積雪ゼロだから実に助かった。まあ、若いカップルならロマンチックなホワイトクリスマスが望ましかっただろうが、近頃の私はロマンより効率に軍配が上がる。数年前に同じ職場にいた20代の男性が、イブの一晩だけで彼女のために20万を費やしたことがあると言っていたのを思い出す。日本ハムの監督じゃないが「シンジラレナーイ!」。当時は、プレゼントされたブランド物のバッグをイブの翌日には質草にするという女性たちの呆れた行動が問題になったものだ。
それはともかくとして今年の「おうちディナー」は、ホタテのクリームシチューを入れた耐熱皿にパイ生地をかぶせて焼いた「あつあつパイシチュー」をメインにした。ふんわり膨らんだパイ生地は真上からざくざくとスプーンで割って、シチューの中に落として食べる。パイで覆われていたシチューは予想外に熱く、それを頬張る長女の顔はまるでピノキオがロバに変身する過程を見るようだ。「彼氏には見せられない顔だよ」と忠告してあげたのに、「ほんはほ、ひはいほん(訳・そんなの、いないもん)」。あ、鼻が伸びた!

由利牛のみそ漬

日付
2006-12-22 (金)
カテゴリー
今日の逸品

昨夜はさすがに消化器系がお疲れモードで、いつもの質素な食事を作ろうと台所に立ったのだが階下の義母から由利牛のみそ漬が差し入れられた。ステーキ用の鉄板が肉の脂と味噌を焼いて、香ばしくジュージューと音を立てている。まずい…いや美味しいのだけどマズイ。問題はここからなのだ。本当に美味しかったので、同じものを友人にも贈ってあげようとネットで検索してみた。見つけたまでは良かったが、支払方法が代引のみに設定されている。それはまずいのだ。支払うのはこちらで、先方には商品だけが届けばよろしい。送料の説明がなかったのは、もっと先に進まなかったからだろうか。画面には産地直送の美味しそうな品が並んでいるのに、絵に描いた餅のように消費者が手を出せないのは一体どうしたことか。JA秋田しんせい農業協同組合は、今日もまた一人客を逃した。

師走の馳走

日付
2006-12-21 (木)
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今日の逸品

深く反省したせいか今日は軽症で済んだ。いくら学習能力が乏しくても、さすがに3日前の失敗は繰り返せない。昨日の忘年会は山王プラザから近所に移転した「やどろく」に始まって、川反の「美杏奈」、そして「蔦」でお仕舞い。やどろくの料理は豪快だが素材が良いので行くたびに印象に残る。たとえば昨日は、厚さ2センチもあるトロや、焼いたら溶けてしまいそうな霜降りの牛刺しが「どうだ!」と言わんばかりに堂々と大皿に盛られていたし、ミディアムに焼かれた巨大なサーロインステーキはハーブ塩でさっぱりといただくのだが、噛むたびに肉汁がほとばしる勢いなのだ。他にズワイガニとふぐちりが参戦して、ごちそうの代名詞のような品だけがずらりと並んだ。素材で勝負…人もこうでなければならないんだろうなあ。とはいえ今さらスッピンで街に繰り出す勇気はないな。

天国と地獄

日付
2006-12-19 (火)
カテゴリー
今日の逸品

日曜日、秋田市郊外の蕎麦屋で鴨パーティが催された。ソムリエ弁護士は赤ワイン2本、白ワイン1本、シャンパン1本を持ち込み、フランス乞食医師は太平山の小玉醸造が仕込んだ純米大吟醸「今人(いまじん)」1升を手に、私は久しぶりに焼いたチーズケーキとアップルパイを抱えての集合となった。薄暮の中を小雪が舞い始めた頃、テーブルに据えられた七輪では小又峡の天然鮎が独特の清々しい香りを放っていた。メインディッシュの鴨は通称“ものとりライター”氏が山に出かけての戦利品(と言いたいところだが今年は鴨が少ないらしく知人から分けてもらったらしい)とあって自ら炭火で焼いてくれ、傍らの大鍋には誰かが背負ってきたネギが鴨の旨みを吸ってグツグツと煮えている。そして宴の中盤では、山王「宇多羅」の店主だったカズオさんの蕎麦が振舞われるという逸品だらけの大晩餐会となった。築100年を超える古民家に集まった中年男女9人のグラスは傾きっぱなしで、ついにはカズオさんの寝酒(?)かもしれない新政の本醸造を引っ張り出す始末。
翌日―。44年の人生の中で5本の指に入りそうな二日酔いが待っていた。天国から一夜にして地獄へ。中間の人間に戻れたのはその日の夜という体(てい)たらくで、深~く反省。

さくさくは冬の音

日付
2006-12-16 (土)
カテゴリー
今日の逸品

昨夜届いたハタハタのおすそ分けで、今朝早くに近所のよしこちゃんを訪ねた。その数分前に私からのメールを受け取っていた彼女はビール漬けを手にして玄関に現れ、「今、樽から出したばっかりよ」と満面の笑顔で言った。すっぴんの女ふたりが魚と漬物を交換する朝の光景なんて、まるで時代劇に出てくる長屋のようではないか。わらしべ長者とはいかないが気分は上々で、過保護犬・銀士の散歩を終えてから早速ビール漬けで朝食とした。いつもながら絶品の味わいで、さくさくという瑞々しい歯ごたえが心地いい。
ずいぶん昔になるが、冬の夜に「さくさく行こう」と言われた時に、雪を踏みしめる音のことを言っているのかと勘違いしたことがあった。あとで「さっさと歩く」というような意味で言ったのだと知ったが、なぜか「さくさく」という言葉は冬を連想させる。
仕事を済ませたら、さくさく帰って今朝、仕込んできたヒレカツを揚げよう。

図らずもダイエット的生活

日付
2006-12-15 (金)
カテゴリー
今日の逸品

昨日、二人の知人から天井桟敷の幕間が長すぎると指摘があった。一人は千葉に住む友人から生死の問い合わせ、もう一人は仲良しの美人秘書で「毎日ストーカーのごとく覗いているのに…」と苦笑まじり。誠に面目ない。ちょっと言い訳がましいが、この2ヶ月というもの寝食を忘れるほど締め切りに追われていた。新刊「おんなたちの満州」は太平洋戦争開戦の12月8日発行を目指して急いでいたのに、その校正用の赤ペンを持つ手が突然、記念誌の原稿やフォーラムの後始末記を打つ手に変わるのだからややこしい。そうこうしているうちに体重は4キロ減って、ロングブーツのファスナーもすんなり上がるようになっていた。得意げに友人にメールで報告したら、筋肉量を増やさなければリバウンドは必至と冷静な返信があった。忘年会、クリスマス、新年会が控えていることを思えば、世の中、結局は丸くおさまるように出来ているのだろう。桟敷復帰を記念するように今夜は漁港直送のハタハタが届いているはずだ。焼きたての身から中骨をすっと外したら醤油をたらしてかぶりつく。いいんだろうか…垂涎の幕が開く。

秋鮭の運命

日付
2006-10-16 (月)
カテゴリー
今日の逸品

スーパーにはお惣菜コーナーという場所があって、多種多様に調理された品々が小分けで販売されている。メニューに迷った日はそこを覗いて参考にすることがあって、昨夕、目に留まったのは「秋鮭のチーズ焼き」という品だった。秋鮭は今が旬らしく、値段も安いし脂が乗っていて美味しいものだ。
さてオーブンの余熱をセットして、秋鮭の骨を抜いてタマネギとシメジを切る。天板にアルミホイルを敷いて材料を並べたら塩コショウとガーリックパウダーなどの手持ちの調味料を振り掛ける。そして白ワイン!…が切れていたので日本酒で代用、最後にとろけるチーズを!…これも切れている(朝までは確かにあったのに)。チーズがなかったら秋鮭のチーズ焼きにならないではないか、マズイ…、冷蔵庫に頭を突っ込んだまま何か手はないかと考えた。
雑誌の編集作業では欲しい写真が入手できなかったり、必要な原稿が間に合わなかったりと「切らす」ことが結構多い。だが、そこに固執していると作業は先に進まないので、最高の代用品はないかと瞬時に頭を切り替えなければならない。
突っ込んだ頭を冷蔵庫から抜いた時に、私が握っていたのはマヨネーズ。並べた秋鮭の上に、網目を作るように縦横にマヨネーズを細く搾り出して、余熱の終わったオーブン250度で10分。マヨネーズが黄金色に焼き色がついたのを確認して、大皿に移して「みず菜」のグリーンを散らして食卓へ。かくして、秋鮭の運命はチーズが切れていたことで好転した。人間の運命にも、きっと同じような幸運が隠れているのだ、と思えば本日も楽しい。

胃のなかのカメラ、大事を映さず

日付
2006-10-15 (日)
カテゴリー
今日の逸品

次女は14歳にして胃の内視鏡検査を受けた。未だ経験していない私が、よく聞くところの「苦しい」だの「人には見せられない姿」だのと言って、いたずらに恐怖心を植えつけてもいけないので「胃カメラ? それはそれは…」と茶化す程度にしていた。検査を終えて帰る車中で本人いわく「超小型カメラを飲み込んで、遠隔操作をして余裕で画面を見て楽しめるものとばかり思っていたのに、ナニアレ! 太っ! でかっ!!」(映画の見すぎじゃないかと思うが)。それはともかく、この決して楽ではなさそうな検査を受ける必要性があるのかという当初からの疑念が消えない。数週間前は虫垂炎という所見で点滴と投薬の治療を受けたばかりだ。医療を提供する側の経営の安定化や医療ミスをめぐる防衛という意識は分からないでもないが、安直であったり過剰であっては困る。一般的な患者は指示された医療行為を拒否できないし、拒否する根拠も持っていない。「患者さま」本位の医療というわりに、電子カルテの入力に診療時間の多くを割いて患者の顔を見ないのもどうかと思う。
何はともあれ、鵜のごとく一仕事終えた次女は、鮎ではなく「肉じゃが食べたい!」と夕食のリクエストをした。

苦手意識

日付
2006-10-11 (水)
カテゴリー
今日の逸品

長い長いトンネルをやっと抜けたような気分だ。天気の具合を見る余裕も出てきたことで人心地ついたと実感する。振り返れば2週間ぶりの「今日の逸品」で、その間には久しぶりの「煌」で大将の顔を拝んだ日もあった。あんまりご無沙汰していたせいか、なんとお造り盛り合わせの皿にエビが居た。エビは好物だが、刺身となると甘すぎて食指がのびない。そのことを知っている大将は、いつも別の品に替えてくれていたのだ。残すのも大人げないので食べたが、これは昨日の夕食の前振りだったのかもしれない。
昨夜、実家から届いた大量のボタンエビ、ホタテ貝柱、イクラを前に、しばし腕組みして考えた。さすがに半分は刺身に、あとは唐揚げとバター焼き、刺身にしたボタンエビの頭はお吸い物のダシにと振り分けてみた。たった3種類の食材なのに皿数だけは多くて、手のかからない豪華な食卓となったのは有難かった。
父もエビとホタテ、カニの刺身を好まず、よくそのことを口にしていたから、子供だった私は「あの甘さがなあ」という言葉に感化されたのかもしれない。そんなこともあって、子供たちの前では好き嫌いを口にしないで過ごしてきたが、成長するにしたがって常に私の皿にだけニンジンが入っていないということはバレた。思えば「親業」ほど苦手なものはないかもしれない。

八郎潟のシラウオを肴に

日付
2006-09-27 (水)
カテゴリー
今日の逸品

天王の知人に獲れたてのシラウオを頼んであるから、それで一杯やりましょうと近所の友人宅に招かれた。ところが八郎潟のシラウオ漁は24日に一旦終えて数日後に再開するというので、彼女はわざわざ市場で買い求めてきたそうだ。
シラウオを生で食すときの表現はやっぱり「啜る」だろう。大根おろしと生姜をたっぷり添えて啜れば、その身の旨さもさることながらピンとした歯ごたえが返ってきて気持ちがいい。用意されていた2本の麦焼酎もいつしか空になって、それではと持参した純米原酒に手をつけた。
これは男鹿の名水「滝の頭湧水」で仕込まれたもので「富豪の泉」という縁起の良さそうな名前。添付のリーフレットには「発展途上酒」と書かれている。とはいえ製造元は老舗の木村酒造だから期待も膨らむ。一口含んだ日本酒通の一人は「いいお酒だけど洗練されたらもっと良くなるのでは」と言っていたが、まったく日本酒は奥が深い。
それにしても男鹿の湧水と八郎潟のシラウオという限りなく透明に近い組み合わせで、何やら日頃の雑味がすっかり払われたような気がする。この調子で明日の検診もクリアしたいところだが、慌てて野菜ジュースでデトックスを図る往生際の悪さ。

紀文の房太郎さん

日付
2006-09-23 (土)
カテゴリー
今日の逸品

横町の「紀文」で名物の千秋麺を食べると、大女将の房太郎(本名はたしか、房子)さんを思い出す。しばらくお目にかかっていないが、相変わらず凛としているらしいと聞く。「紀文」の千秋麺はあっさりとしたスープと細麺が特徴の中華そばだが、素朴で懐かしい味だとして長年のファンも多い。深夜1時まで営業している店内は、一杯飲んだあとに立ち寄る客でいつも賑わっている。
6~7年前になるが、房太郎さんが芸者をしていた頃からの付き合いだという上司と紀文を訪ねたことがあった。夜の10時頃だったと思うが二階の座敷に顔を出した房太郎さんは三つ指をついて深々と頭を下げ、得意にしていた岡本新内のことなど秋田弁で語る思い出話が尽きなかった。いかにも粋筋で生きてきた女性らしく、艶やかでありながら出過ぎないしなやかさがあった。戦後間もない頃の川反には、こんな床しい芸者衆が大勢いたというが、いま往時の面影が偲ばれる場所はない。
「高層の明るい灯の中から、さんざめく三味太鼓の響きが川を渡り、障子にうつる舞いの手ぶり、足のしなりが影絵になって、柳の垂り枝が行く水にゆらぎ、向う側の土手にさすらう若人達に、ひとしおのやるせなさを増させたことでもあったろう。」とは、「明治より昭和まで」(鷲尾よし子著)の一節。情景が目に浮かぶ。

もっきりかけて

日付
2006-09-21 (木)
カテゴリー
今日の逸品

先日、やじ子と駅前を歩いている時、彼女が履いていたサンダルのヒールが折れてしまった。近くの大型店でとりあえず代用品を買って事なきをえたのだが、不意の散財ついでに5時開店の居酒屋に立ち寄ることにした。二人とも空腹ではなかったので、お通しの豆腐を肴に黒糖焼酎を二杯ずつ飲んで、客が混み出した6時過ぎには店を出たから酔うというより「もっきり」かけて家路についたという感じだった。
それから数日たった昨日、彼女が真顔で言った。
「私たち、もしかしてオヤジ化してない?」
もちろん、日が高いうちから一杯ひっかけて帰ったことを言っているのだ。
時は遡って20年前。千葉市内の会社に勤めていた私は、仕事を終えると決まって同僚と駅ビルのスタンディングバーで軽く飲んでから電車で帰っていた。飲めばタクシーか代行で帰らなければならない秋田と違って、電車通勤はその点が身軽だった。そういえば中尊寺ゆつこさんの「おやじギャル」という言葉が流行ったのは、あの頃ではなかったか。バブルのあの頃、OLたちはゴルフ場へ、居酒屋へ、ガード下の屋台へとオジサンたちの居場所に進攻していった。今で言うところのパワハラ、セクハラが横行していた頃だったから「ギャル」も「おやじ化」しないと、やってられなかったのかもしれない。
それにしても、おでん屋台のベンチにぎゅうぎゅう詰めで腰掛けたときの、見知らぬお尻の温もりが今となっては懐かしい。やじ子さん、「オヤジ化」じゃなくて、もうすっかりそのものでしょ。

わたしの歯はどれ?

日付
2006-09-20 (水)
カテゴリー
今日の逸品

敬老の日にちなんだものなのか確認していないが、「介護エトワール」というドラマを観た。ドラマを見ることは滅多にないが、あと数年したら他人事ではなさそうなテーマで興味深かった。
ところで年を取るということは哀しいことだろうか。不便なことはあるかもしれないが、老化と向き合える余力があるかどうかで感じ方も違ってくるような気がする。
最近、高齢者の仲間入りをした知人が同窓の仲間らと一泊旅行した時のことだ。宴会となれば退職したご亭主の愚痴で大いに盛り上がり、それを受けて「あーしろ」「こーしろ」と夫の操縦に長けた数人がアドバイスをする。こうして日頃のストレスを発散しての翌朝、共同の洗面所が小さなパニックに陥った。ほぼ全員が色もデザインも全く同じ入れ歯ケースを使っていたのだ。それぞれ恐る恐るケースを開いては覗き「あ、違った」と呟いては、また別のケースを手に取るという何とも愉快な行為を繰り返したという。こんなことは私たちの年齢では起こり得ない。多少の不便さを笑いの種に変えてしまう彼女たちの余力に脱帽した。
「逸品」は今日はなし。最近は昨日の夕食さえ思い出せないのだから、介護の前に我が身が危うい。

鍋のあとさき

日付
2006-09-18 (月)
カテゴリー
今日の逸品

鍋の季節がついに来てくれた。
半端な野菜や肉、魚介を一掃するには鍋料理が間違いない。
というわけで昨夜は鶏だんごが主役の寄せ鍋にしたのだが、最高気温が27℃くらいあったようで夜になっても鍋が歓迎される気温には至らなかった。もちろん、よく冷えたビールの味は際立っていたから痛し痒しといったところ。ビールが飲めない未成年者らの「暑い!」という文句にもめげず、煮えたぎる汁の中にスプーンで次々と入れていくのは鶏だんごのタネ。モモ挽き肉にみじん切りの長ネギ、卵、塩、片栗粉を混ぜ込んである。成型されて売られている鶏だんごは硬くて好まない。口の中に入れた時に、ふわふわと分解されるくらいが丁度いい。具が消えたら御飯を入れて溶き卵を割りいれての雑炊で仕舞い。空っぽの鍋と冷蔵庫を見るのは気分のいいものだが、夜が明けての今朝……朝食の材料がない!という事態が結構あるんだな、私の場合は。

こっぱニシン!?の反省記

日付
2006-09-17 (日)
カテゴリー
今日の逸品

身欠きニシンを煮てみようと思い立って、よしこちゃんから作り方をメールで流してもらった。洗ってから腹側の骨を削ぎ落として湯通し、までは教えに従順で完璧だったのだが、三等分くらいに切るところを一口大に、砂糖、酒、醤油で煮るところを途中で酢を加えてしまった。なんと煮上がってみたらニシンはバラバラの木っ端微塵、一緒に煮たフキにそぼろ状態でまとわりついていた。
こんなふうに年に数回、人の言うことを聞かずに失敗することがある。
何年か前、仕事で北上に行った時のことだ。「えさし藤原の郷」を最後に、あとは帰るばかりとなった私とやじ子は遠野にも寄ってみようと相談がまとまった。駐車場で待機していた観光バスの運転手に道を尋ねて地図まで書いてもらったのに、途中「遠野」と小さく書かれた標識を見て「こっちの道の方が近いに違いない」と決め付けて見事に迷った。諦めて北上に戻り、ジャージャー麺を頬張りながら「人の言うことは素直に聞かないとね」と悟ったはずだったのだが、その後も思いつきの失敗を繰り返しては反省を重ねている。
よく考えてみたら、この会社を創るときも何人かは止めたくて仕方なさそうな顔つきだった。
言ってくれたら素直に聞いたのに…と笑うところからして反省の色がない。

切ないパーティプラン

日付
2006-09-16 (土)
カテゴリー
今日の逸品

昨日は友人の誕生日を祝おうということで、予約していた駅前の多国籍料理店での昼食となった。この店は以前にも別の友人の誕生祝いで同じパーティプランを利用したことがある。その時、思いがけず店から花束が主役に手渡されたものだから、もしや今回も…と多少は期待した。サーモンのカルパッチョ、シーザーサラダ、魚介のグラタン、アサリのパスタと続いて、いよいよ花束贈呈のデザートタイムが近づくと他人事ながらワクワクした。が、ベリーたっぷりのケーキやシャーベットを、花のように盛り付けた一皿が置かれただけで花束はなかった。
料理もまずまずでリーズナブルな価格、しかもパーティプランの文言に花束プレゼントなど一言も謳っていないのだから、店側には何の落ち度もない。
ただねー、人間関係でも言えるけれど、上げといて不意に元の位置に戻されると凡人にはツライ。

稲穂の波

日付
2006-09-14 (木)
カテゴリー
今日の逸品

能代で打ち合わせを終えて帰る途中、少しだけ下ろした窓から懐かしい匂いが入ってきた。乾いた干草のような稲穂の匂いだ。見れば一帯に広がる田んぼが黄金色に輝いている。
そういえば実家の裏手に周辺の農家が管理する田んぼがいくつもあって、季節ごとに違う顔を見せていた。18のある秋の日、久しぶりに帰った実家の自室から外を眺めていると、突然、強風が吹き始めて稲穂の波が大きくうねりだした。まだ感受性が瑞々しかった頃だから、その美しさに感動して、うっかり泣きそうになったほどだ。話題の総理候補ではないけれど、「美しい日本」を確かに見たのだと思う。
と思ったあたりで不意に大事なことを思い出した。午後から次女の合唱コンクールが県民会館で開催されていて、間に合えば観に行くと伝えてあったのだ。稲穂も驚く台風のごとく車を飛ばして、6年連続で情けないが次女の出番寸前で滑り込み。
二百十日から13日目、風に乗ってコウベを垂れずに済んだ。

切り身

日付
2006-09-13 (水)
カテゴリー
今日の逸品

買い物に行く時間帯が一般の家庭より遅いせいだろうが、生ものなら半額のシールが貼られていることが多い。昨日も真鱈の切り身が半額になっていて迷わず即買い。そろそろ鍋も恋しいけれど切り身だけなので、ホイル焼きを想定して足りない食材を駆け足で買い込んだ。さて、このホイル焼き、見た目は豪華で作り手の株が上がること請け合いだが簡単すぎて料理と言えるかどうか…。
なにしろ、アルミホイルにスライスしたタマネギを敷いて、その上に鱈を乗せて、塩コショウとお酒をふりかけて、香りのいいキノコを添えて、エビなんかも添えてバターを一片乗せて、包んで、250度のオーブンで10分焼くだけなのだから。
それでも焼きあがってホイルを開く時のワクワク感、湯気と一緒に立ち昇るキノコの香り、そして凝縮された旨みに至るという三段仕込みは意外とウケる。
まあ、こういう一気呵成モノで手を抜かないと、こちらが切り身になるわけで。

究極の粕漬け

日付
2006-09-12 (火)
カテゴリー
今日の逸品

料理名人よしこちゃんに相談があって仕事帰りに立ち寄ったところ、いわゆる「がっこ茶っこ」が用意されていた。中でも瓜の漬物がとびきりで、聞けば刈穂の大吟醸の粕を使ったのだと言う。そんじょそこらでは食べられない粕漬けは、口の中でほんのり甘い香りが広がる。薄暮の、ちょうど小腹が空いた頃合で、卑しい私はポリポリと食べては次に伸ばす手が止まらない。
しばらくぶりに会ったので話も止まらないのだが、夕食の支度もあるので小1時間ほどして彼女の自宅を出た。車に乗り込んで、はたと考えた。巷では相次ぐ飲酒運転による事故を未然に防ごうと躍起になっている。ひょっとして粕漬けも飲酒運転の範疇になるのではあるまいか。そんなことならロッテのラミーチョコだって負けてない。粕漬けのアルコール度数を考えているうちに、彼女の家から1キロほどの自宅に着いてしまった。そんな距離なら歩け、という声が聞こえてきそうだ。

満月の仕業

日付
2006-09-09 (土)
カテゴリー
今日の逸品

昨夜の7時頃、山王大通りから駅方向に向かって車を走らせていると三井アーバンホテル真上に真ん丸い月が乗っかって輝いていた。あまりに見事な円なので、一瞬なにかの看板の写真かと思ったほどだ。こういう出来すぎの満月を見ると、ニコラス・ケイジとシェールの「月の輝く夜に」を思い出す。本当に満月が人を惑わせるのかどうか分からないが、あの映画では罪悪感の欠片も見せずに浮気にいそしむ数組の男女が、すべてを満月のせいにしていたように記憶している。最初に観た時は唖然としたが(私も若かったし)、二度目以降はイタリア系移民が持つ根無し草のような人生観と大らかさに苦笑したものだった。
それはさておき、シェールの母親役が厚めに切ったフランスパンの中央をくりぬいて、そこに卵を落としてオリーブオイルで焼いているシーンがあった。何かの香辛料やソースを加えたかもしれないが、こんがり焼き色がついた卵の黄身がまるで満月のようだった。
次の満月の夜に、もしも正気だったら試してみようか。
失敗したらもちろん満月のせいにして―。

もうちょーっと早ければ…

日付
2006-09-08 (金)
カテゴリー
今日の逸品

知床を旅してきたという両親から、そろそろカニが届くはずだと電話が入ったのは昨日の昼。帰宅すると確かに網走漁港発送の荷物が届いていて、中にはタラバガニと毛がに、ホタテなどの海産物が納まっている。母は、カニ好きの次女が喜ぶだろうから存分に食べさせて、と加えて電話を切った。
と言われてもねー。
当の次女は虫垂炎の疑いで、前日から絶食と点滴の治療を受けているのだからカニどころの話ではないのだ。三日間の治療で症状が変わらなければ手術ということにもなるかもしれない。
というわけで今度ばかりは仕方がない。せっかくのカニの鮮度が落ちないうちにと手早くさばいた。甲羅から切り離した足に切れ目を入れると、赤みがかったカニの身がプリプリと弾んでいる。
それを横で見ていた次女が、
「あーあ、届くのがもうちょっーと早かったら」
「うまい! 座布団一枚!」
「どして?」
「虫垂炎の俗称」

脱稿の味

日付
2006-09-07 (木)
カテゴリー
今日の逸品

「浮いたら食べごろ」を書いたのは8月31日で、自分では当日に公開したつもりでいたのだが…。それにしても脱稿の爽快さは何度味わっても良いもので、これも「逸品」の一つと言える。どういうわけか締め切り前の混乱と時を同じくして、プライベートでも問題が続発した一週間であった。
昨日の午後はマンモグラフィという乳癌検診を予約していて、時間に追われるまま昼食どころかビスケットひとつ口にできずに病院に飛び込んだ。マンモグラフィは痛みを伴なうと聞かされていたが、強い圧迫感はあったものの痛み自体は大したことがない。これで癌の早期発見ができるらしいから、世の女性たちは積極的に受けるべきだと思う。
3時半に病院から自宅に直行して夕食を作り、その後宴会の場所へ急いだわけだが、案の定、空腹の身はアルコールをぐんぐん吸収した。覚えのある方も多いと思うが、空腹で飲むお酒は妙に美味しく感じるものなのだ。「雪の茅舎」と「刈穂」だから空腹じゃなくとも美味しいには違いないのだが、前者の華やかさと後者の硬派っぷりが昨夜は特に際立っていた。
おかげですっかりブラックアウトだったが、酔って帰宅し、脱いだスーツをたたんで冷蔵庫に入れたという知人には遠く及ばないはずだ。

浮いたら食べごろ

日付
2006-09-07 (木)
カテゴリー
今日の逸品

昨夜、義母からおすそ分けがあった。テレビの料理番組で紹介されていた水ギョウザを作ってみたという。見た目は普通の水ギョウザだが具が面白い。つぶした豆腐と鶏挽き肉に千切りのキュウリと椎茸、そしてキムチ。茹で上がって皮が透き通るとキムチの赤が現れて実に美しいし、キュウリのコリコリとした歯ざわりが食感に変化を加えている。ギョウザの具はシンプルに豚挽き肉と白菜だけ、などと決めてかかってはいけなかったのだ。
生来の能天気者なので、どうも向上心が乏しいように思う。もし昨日までは出来なかったことが今日出来たとしても、決して自発的なものではなくて偶然、もしくは切羽詰って止むを得ずといったあたりなのだ。中身がどうであれ水ギョウザのようにプカプカ浮かんでいられたら素敵だけれど、やれやれ、原稿の締め切りが迫って頭が痛い。切羽詰って止むを得ずの事態に、気分は生煮えで未だ浮かばれず。

せんべいと秋田産

日付
2006-08-30 (水)
カテゴリー
今日の逸品

昨日の午後は美女二人の来訪があったが、「姦しい」の文字通り3人の女が集まればとにかく賑やかになる。先に訪ねてきた美女は「ぬれおかき」の手土産付きで、じゃがいも入りと黒糖入りの2種類。外袋に印刷された「湿気ているのではありません。」という注意書きが笑いを誘う。ぬれおかきは秋田の企業が製造特許を取得しているはずで、米どころ秋田ならではの産物だろう。
最近は口にしていないが、東京亀戸の押上せんべい本舗のぬれせんも美味しい。「ちょいぬれ」と「たぷぬれ」があって、味は「ぬれおかき」よりも甘みが少ないが、せんべいなのに引きちぎって食べる面白さがある。一方、その店で創業以来の人気商品は歯が立たないほどの堅焼きせんべいで、バリバリと豪快に音を立てて食べるところが下町らしくて気持ちがいい。
ずいぶん前だが、秋田の米は上等すぎるから堅焼きのせんべいには向いてないんじゃないかと言われたことがあった。褒められたような、けなされたような不思議な気分だったが、言われてみると水分を多く含む米ではバリバリという音は出ないかもしれないと思えた。
二人の美女も秋田ならではの産物なのだが、米と違ってなぜか売れない。こんなところでお茶を挽いてていいのかねえ。

なごりのアイスコーヒー

日付
2006-08-29 (火)
カテゴリー
今日の逸品

夏の間は2日おきにアイスコーヒーを淹れて、中古で購入した冷蔵庫で冷やしていた。この冷蔵庫、3年間は順調に働いてくれていたが、猛暑に見舞われた今夏はどうも“冷え感”が足りないような気がする。一般家庭のように食料品がぎっしり入っているわけではなく、せいぜい戴いた日本酒やチョコレートが並ぶ程度だから使い方に問題はなさそうだ。きっと当たりが悪かったのだろう。
珈琲の薀蓄を語る人は大勢いるが、アイスコーヒーとなると話が別なのは何故だろう。通年で楽しめないからなのか、種類が少ないからなのか、その理由が分からない。
千葉で暮らしていたはるか昔、千葉駅近くに「馬酔木」という喫茶店によく通った。「ASHIBI」というバーが同居していて互いの店を行き来できる造りが面白かったが、どちらも常に混んでいた。
「馬酔木」のアイスコーヒーと「ASHIBI」のビールに使われていたのが保冷性にすぐれた銅製のマグカップで、たった一杯でずいぶん長居をさせてもらったものだ。何を語り合って、どう泣き笑いしたのか忘れてしまったが、あのカップの冷たい感触はよく覚えている。
なごりのアイスコーヒーのはずが、もうグラスの中の氷が解け始めた。

ふる川の蕎麦

日付
2006-08-28 (月)
カテゴリー
今日の逸品

泉の秋田陸運事務所近くに「ふる川」という蕎麦屋がある。昨日、取材を兼ねて知り合いのTさんを訪ねた際、年季の入った構えのその店でお昼をごちそうになった。白くて細い更科のシャッキリとした歯ごたえが心地よく、天ぷらも上出来の揚がり具合である。車の修理工場や住宅が建ち並ぶ小路に、こんなに美味しい蕎麦屋があったとはと驚きながら添えられたミニ丼の米粒一粒も残さず平らげた。
このTさんは趣味と実益を兼ねて数え切れないほど渡英しているので、イギリスの食事が少しは美味しくなったかどうかを訊ねると、郊外のパブなどでは美味しい料理もたまにあるが基本的には不味いとキッパリ断言していた。
「イギリスはおいしい」の著者、林望氏は、あの不味さの根源は食感を度外視しているところにもあると書いていたことを思い出す。何でもぐたぐたに茹でてしまうイギリス人に、この蕎麦を食べさせたらどんな顔をするのだろう。ああ、日本はおいしい。

思いがけない気配り

日付
2006-08-26 (土)
カテゴリー
今日の逸品

今夜は80回目を迎えた大曲の花火競技会らしい。あの会場に居てこその迫力はよく分かっているのだが、一夜だけの増殖した人口による混乱もまたよく分かっていて足がどうにも向かない。それでも今年は晴天に恵まれて絶好の打ち上げ日和だろうから、果敢に会場に出向いた方々は是非とも日本一の花火を楽しんでいただきたい。
大曲駅の二つ手前に奥羽本線の刈和野駅があって、その近くにユメリアという宿泊施設がある。4年ほど前だったろうか、そこに宿をとり、道路の渋滞を避けて列車で花火会場に向かったことがある。臨時に列車は増発されたものの、案の定、都心の満員電車をはるかに上回る混雑ぶりで10分足らずの乗車時間でも辟易した。「お約束」の大会提供花火を見届けてから、再びすし詰めの列車に揺られ疲れきって宿に戻ると、部屋の片隅に夜食が用意されていた。
氷水の入ったポット、温かいお茶のポット、おにぎり、漬物、そして「お疲れ様でした。よろしかったらお召し上がりください。」という宿からのメモを見た時には、思いがけない気遣いに深く感動したものだった。
年々、増え続ける観客に対し、会場となる旧大曲市内では駐車場やトイレなどの課題に頭を悩ませているだろうが、客を迎えるという気持ちだけは忘れないで欲しいと思う。ほんのささやかな気配り、心遣いでも十分に心に残るものなのだ。
ちなみに私たちは翌年もユメリアに宿をとった。

ごちそう生ハム

日付
2006-08-25 (金)
カテゴリー
今日の逸品

昨日、仕事を終えてから近くに住む「やじ子」の自宅を訪ねた。やじ子は雑誌時代の同僚で、県外や海外への取材旅行に同行した際は、迷コンビ「やじ子」「きた子」と称して紙面を荒らしては上司の顰蹙を買ったものであった。
彼女の居間の食卓には真っ赤なトマトと生ハムが彩りよく盛り付けられていた。山王のスペイン料理店「グランヴィア」が主催する生ハム作り教室に参加したのだと言う。そういえば青森に異動したNHKの女性記者も同じ教室にはまって、巨大な生ハムをぶら下げた写真入りの年賀状が毎年届く。グランヴィアは赤坂にも出店して、やはり手作りの生ハムが好評だそうだ。やじ子の生ハムは今年の2月に仕込んだもので食べごろは10月頃らしいが、前日に少しだけ削ってもらって持ち帰ったという。2~3㎜の厚さに切られた生ハムは、肉の旨味が凝縮されていて塩加減も絶妙だった。
「うまーい! 肉だねー!」
「肉でしょー! うまいでしょー!」
いい年をして、こんな貧相な語彙で会話するのも情けないが、本当に美味しいときには実は感嘆符しか出てこないものである。これに赤ワインでもあったら「!」「!」といったところだろうか。

味噌汁は大人の味

日付
2006-08-24 (木)
カテゴリー
今日の逸品

ここ何年も午前2時頃就寝、6時半起床という睡眠サイクルが定着している。雑誌をやっていた頃は月に2、3度の徹夜が加わっていたので、それを思うとずいぶんまともになったと思う。
起きたら最初に煮干で味噌汁のダシをとる。子供の頃は毎朝出される味噌汁が大嫌いだったのに、今は毎朝それがないと始まらないのだから不思議だ。
昨夜のようにボウモアのロックをついつい飲みすぎたり寝不足だったりすると、翌日は無性に塩分が欲しくなる。そういう状態にうってつけなのが味噌汁で、これは大人にならなければ分からない味なのだと勝手に決めつけている。
今朝の具はなめこと豆腐だったが、食べる直前に大根おろしを入れるのが私流。ところがこの代物、なめこのぬめりと大根おろしが蓋の代わりになって、いつまでたっても熱い。真冬ならともかく、この猛暑が続く8月にはあまり相応しくないかもしれない。文句だって言いたくなるだろう。
「熱くて飲めない!」
「遅刻したらこの味噌汁のせい!」
「嫌がらせにちがいない!」
ほらね。冷たい言葉の集中攻撃、ああ、熱い味噌汁が大人の心に沁みる…。

踊るところてん

日付
2006-08-23 (水)
カテゴリー
今日の逸品

1年くらい前になるが、あるテレビ番組で寒天ダイエットが紹介されたことがあった。その翌日、近所のスーパーに行くと寒天製品がすべて消えていて唖然としたものだ。マニアックな泥棒の仕業かと思うほど寒天の陳列棚だけがぽっかりと空いていた。もっと以前にも、別の番組で紹介されたきな粉やバナナで同じ現象が起きていたらしい。一つの情報に踊らされる視聴者の姿を、もしも天上から俯瞰したとしたら滑稽で平和な地上として映ったに違いない。もちろん私もいちいち踊っている。
寒天に話を戻せば、同じ天草から作られるところてんで長女は10キロ痩せた。手に入りにくい冬場は休止しての約1年間、毎夕食前に半パックのところてんを飽きずに食べ続けた結果である。もちろん三食しっかり摂っていたし、時にはケーキやピザだってモリモリ食べていた。
「継続は力なり」を目の当たりにして、私も遅ればせながら11ヶ月間休止していたところてんダイエットを再開することにした。今夏のビール消費量増加で、もはや崖っぷちに立たされている。でもこの崖、落ちたら落ちたで基準を緩めた次の崖があるから厄介。

暫時(ざんじ)、厨房に入らず

日付
2006-08-22 (火)
カテゴリー
今日の逸品

こうも厳しい残暑が続くと、火を長々と使うような料理は敬遠したいもので昨夜もやっぱり中華。下ごしらえさえ済ませてしまえば一気に仕上げられるから汗をかく暇もない(年相応に代謝が悪くなったとも言えるが)。
さて、メインはエビと青梗菜の炒め物である。赤とグリーンの彩りを生かしたいので、さっぱりと塩味にすることが多い。この一品だけでも実は調味料を除いて7品目の食材が入っている。酒蒸しにした鶏胸肉を手で裂いてキュウリやクラゲと合わせたサラダを添えれば軽く10品目を超える。
食材の数や色が多ければ勝手に栄養バランスがとれているというのは、16歳から自炊を始めた私の経験則である。
エビの赤、青梗菜やキュウリの緑、クラゲの白、肉の茶…そして青! 仕事を終えて厨房に立つ私の吐息は、常にトホホな青息なのである。

酢豚にパイナップルは罪か

日付
2006-08-21 (月)
カテゴリー
今日の逸品

酢豚にパイナップルを入れるべきかと問われたら、納豆に砂糖を入れるか入れないかに比べたら大した問題ではないと答える。生ハムとメロンを引き離すかどうかも同じである。昨夜は豚ロースのブロックがあったのでカリッと揚げて酢豚にしたのだが、パイナップルも迷わず入れた。温かい料理に果物を使う、あるいはオードブルで生ハムなどと一緒に食すことを許せない人は結構いるものだ。好みの問題ではない。「嫌い」ではなく「否定」に近い。
大きな声では言えないが、秋田を代表する郷土料理「きりたんぽ」だって実は否定派がいる。せっかくの鶏鍋に何のために飯を入れて食べなければならないのか、というのが言い分だ。
食を楽しむコツは、育った環境で培われた主義主張をグッと飲み込むことだろう。
とはいえ納豆に砂糖だなんて…あれはねえ、糸は引いても後は引かないな。

VALS(ヴァルス)と秋田こまち

日付
2006-08-20 (日)
カテゴリー
今日の逸品

今朝のご飯は妙である。本来は粘りが強いはずの秋田こまちがパサパサして硬いのだ。昨日の記憶を辿ると、そうだった、炊飯を中3の次女に頼んだのだった。本人に訊ねてみると、家に常備しているVALSで炊いたという。VALSはフランス産の天然発泡水で炊飯には不向きな硬水である。謎が解けて大いに笑えたが、百歩譲って彼女の言うところの「実験」だったとしても一升は多すぎやしないか。まあ、こんなことから日本の水事情や食料自給率にまで興味が飛べば有意義な一件になるのだが、残念ながら鳶が鷹を生むことは稀なのである。

エビマヨと大リーグ養成ギプス

日付
2006-08-19 (土)
カテゴリー
今日の逸品

昨夜は大町の「銀河館」で新しい企画の打ち合わせを兼ねて一杯。近頃、ビールは真夏でもジョッキ一杯がせいぜいになった。以前、通訳を依頼した韓国人の大学生と一緒に飲んだ時、日本ではなぜ「とりあえずビール」と言うのか不思議がっていた。本格的に飲む前の準備体操がビールではないかしらと適当なことを言ったような気がするが、はたして正解かどうかは未だに調べていない。
さて銀河館のメニューに戻るが、とりあえず焼肉サラダ、ザーサイ冷奴、エビマヨを注文。このエビマヨが絶品。背開きにした車エビにたぶん片栗粉をまぶして揚げてから特製ソースで和えてある。エビのアメリカンソースがベースになっているような濃厚な味は、こうして思い出しているだけでも垂涎しきりである。
こんな複雑で美味しい料理を作る店主は今も昔も野球少年。「巨人の星」が放映されていた小学生の頃、兄のエキスパンダーを改造して大リーグ養成ギプスを作ったというから驚いた。だが、同席の同世代男性もまったく同じことをやっていて、バネが戻るときに二の腕の肉が挟まれるため、皮のシートを内側に張りつけたところまでそっくり同じである。
そうか、ものづくりに共通するのは情熱なのだ。
大リーグ養成ギプスと絶品エビマヨは同根なのだと、とりあえず納得。

源氏物語ならぬゴジラの手

日付
2006-08-18 (金)
カテゴリー
今日の逸品

「ふじつぼ」は青森県では高級海産物として珍重されているらしいが、秋田では滅多に出合うものではない。薬品メーカーに勤める五所川原出身のTさんは、帰省したら「ふじつぼ」を持ってきてあげる、とおっしゃった。「ふじつぼ」を知らなかった私は、「ふじつぼ」の響きは源氏物語の「藤壺」となり、さぞかし美しい食べ物だろうと勝手に推測していた。さて数日後…。
「はい、ふじつぼと田酒」
「これが? まるでゴジラの手か、石で出来た蜂の巣みたいね」
「こ、これは珍味中の珍味で高いんだよ」
早速、大将に塩茹でしてもらって食べることに…。
「ゴジラの指先から、ご丁寧に爪まで出てるんですけど…」
「その爪を引っ張って身と味噌を食べるんだ」
カニやエビと同じ甲殻類だそうで、そう思えば味もそんな気がしてくる。
「そうそう、そして汁をすすって、冷えた田酒をクイーッと」
そういえば源氏物語の藤壺は、光源氏と関係して後の冷泉帝を生むんじゃなかったか…ふじつぼと冷えた田酒! 藤壺と冷泉!
うーん…こじつけも甚だしい。
連日36℃前後の秋田では思考回路もこの有様です、ご容赦を。

もしもし…もしもし…

日付
2006-08-17 (木)
カテゴリー
今日の逸品

昨夜の月は単純に三日月と呼んでいいのだろうか。煌々と輝きを放っていて思わず見入ってしまったが、半月には上弦と下弦があるように三日月もきっと決まりごとがあるに違いない。高校時代は地学部にも属していたのだが、もっぱら学校の渡り廊下に寝転がって流星群を観察するのみの活動だったので月は好きだが疎い。隣で寝転がっていた先輩が突然手を握ってきたりして…いや、そんなことより三日月を見て思い出したのはバナナを握った知人の話であった。雑誌社の日常というのは慌しいもので、昼休みさえ電話が途切れない。庶務の○○子ちゃんは大のバナナ好きで、その日もお弁当の脇に大きなバナナを置いて食後を楽しみにしていた。1本の電話を受けた彼女は書類を見るために一度受話器を置いて、再び一生懸命に話しているが相手からの応答がない様子だ。彼女の方を見た私たちは一斉に吹き出した。彼女が受話器と思いこんで耳元に当てているのは、いつの間にか入れ替わったバナナであった。人間、急いては事を仕損じる。一皮むけて滑るようではいけないと、愉快な教訓。

冷やし汁

日付
2006-08-16 (水)
カテゴリー
今日の逸品

休み明けで疲労困憊、頭の芯がバテ気味のところへ、親しくしているハーブの専門家から「冷やし汁」の話題が届いた。「冷やし汁」とは、薄い輪切りのキュウリや千切りにした大葉が入った冷たい味噌汁のことである。秋田市以北の方には馴染みがないかもしれないが、県南部では食欲が落ちる夏の食卓にひんぱんに登場していたものだ。たくさんの氷片がキュウリや大葉と先を争うように浮き沈みしていて、目にも涼しい料理だったが、なぜか最近はめったに見られない。まあ、質素な家庭料理であるから外で出合うことはないだろう。
だが大葉やミョウガは和のハーブであると、先のハーブ専門家から聞いたことがある。毎日、「今日の逸品」を読んでくださっているそうだから、ここは是非、「冷やし汁」の効用を説いてもらいたいものだ。
それにしても懐かしい味を思い出すと、それを口にしていた光景も同時によみがえる。母が生きているうちに教えてもらいたいことが山ほどあるのだが、自分の親だけは不死身のような気がしてつい先延ばしにしてしまう。いい年なんだから頭を冷やせと叱られそうです。

スイカと交換日記

日付
2006-08-15 (火)
カテゴリー
今日の逸品

今年も実家の母から羽後町産のスイカが大量に届いた。今さらではあるが羽後町のスイカは大きさも味も申し分ない。子供の頃、祖母が大事に育てていたスイカを従兄たちは持ち去り、問い詰められると決まって私をスイカ泥棒にしていた。孫たちの中で最年少の私なら何をやっても祖母が許してくれることを知っていたからだ。スイカに限ったことではなく花泥棒に野菜泥棒の汚名まで……今おもえばヒドイ話である。
それはともかく、かつて羽後町で農業をしている女性を取材したことがあった。偶然目にしたNHKの番組で長年交換日記を続けている農家の女性たちが紹介されていたのだが、その中の一人が羽後町にいると知ってすぐに連絡をとった。交換日記のメンバーは全国各地で農業を営んでいて、遠くはブラジルのコーヒー豆農家もいた。天候に左右される農業は苦労が絶えることなく、その辛さや時々の喜びを記した一冊の大学ノートは山を越え、海を渡り、それぞれの手から手へと何年も回り続けたのである。
話すほうも聞くほうも涙がこぼれ落ち、7月の暑い日ざしに汗も流れた。とその時、半月形に切られた真っ赤なスイカが差し出された。午前中に畑からとってきたのだと言う。あんなに甘いスイカは過去にも、そしてその後も味わったことがない。涙の塩加減が良かったのか、いや、農家がどれほど苦労して作物を育てているかを知ったからかもしれない。

旧南部藩領に伝わる「けいらん」

日付
2006-08-12 (土)
カテゴリー
今日の逸品

明日は盆の入りということで、すでに帰省して懐かしい味に舌鼓を打っている方もいるのではないだろうか。ふるさとの味といっても地域によってさまざまだろうが、県北部の鹿角周辺には「けいらん」がある。
何年も前になるが、鹿角市長の取材を終えて、「あんとらあ」という観光施設に立ち寄った時のことだ。一角の食堂で名物だという「けいらん」を勧められたのだが、出てきたのは何の変哲もないお吸い物。塗りのお椀の中にはマイタケと里芋のような白くて丸いもの、錦糸玉子、三つ葉が入っている。汁を一口すすると、やっぱり普通の昆布ダシ。
ところが白くて丸いものを噛んだ瞬間、里芋なんかではなく白玉だと気づく。白玉の中には甘い練り餡と刻んだクルミが入っている。やがて口の中では甘い餡とピリッと辛いコショウが融合して舌鼓などは乱打状態である。次々と変化する味に目を白黒させていると、鹿角の人々は言うのである。
「帰省して何が食べたいかと聞けば鹿角出身者は必ずけいらんと答えます」
確かに一度食べたら一生忘れられそうにない、まさに「ふるさとの味」。

茶町が遠い

日付
2006-08-11 (金)
カテゴリー
今日の逸品

フキと薄揚げの炒め煮が好物で自分でもよく作る。いつも時間がないのでキンピラや細切りコンブのように、あっという間に火が通るものばかりになる。こういう常備菜を作りながら時々思い出すのが「茶町が遠い」という言葉である。
秋田市はかつて商人町や職人町などに区分けされた外町(とまち)と、武家が住む内町(うちまち)とで構成されていたらしい。商人町には砂糖などを扱う「茶町」や米を扱う「米町」などがあり、職人町は「大工町」や「鍛冶町」という具合だ。
秋田市内の旧家に嫁いだ知り合いは、煮物の味加減を姑にみてもらうことになっていたらしく、たまに「おや、ちょっと茶町が遠いな」などと言われたそうである。つまり甘み(砂糖)が足りないという意味だが、こんな気の利いた言い方なら注意をされた嫁の方だって角が立つことはないだろう。おそらく姑さんの方も嫁時代に同じように言われたのかもしれない。
「茶町」は昭和40年に現在の大町という名称に変わった。どうにも味気ない、のである。

岩ガキ

日付
2006-08-10 (木)
カテゴリー
今日の逸品

18年ぶりに甲子園に出場した母校は今日の天理戦で善戦及ばず、悲願の一勝は次回に持ち越しとなった。昨夜は象潟の岩ガキに齋彌酒造店の純米吟醸酒「百竈(ひゃくかまど)」という、図らずも由利本荘市周辺の特産が揃ったので、後輩たちの健闘を祈りつつ盃を重ねた。象潟の天然岩ガキはご存知の方も多いだろうが、なめらかなクリーム色の身は13cmほどもあり、レモンをキュッと搾ってほおばった瞬間、口の中に広がる濃厚さは格別である。
一方の「百竈」は、詩人でエッセイストのあゆかわのぼるさんから絶品だと聞かされていて、なるほど華やかな香りとしっかりとした味はコクのある岩ガキに負けてない。カキを食べながら飲むと二日酔いをしないという説に話が及び、薬と毒を一緒に摂ったら多い方が勝つのではないかという一言に一同納得。
さて、翌朝。二日酔いの気配はなかったが、自分自身からふわりと麹の香りがしたのは気のせいか。

糠イワシ

日付
2006-08-09 (水)
カテゴリー
今日の逸品

今日も秋田市の最高気温は35℃が予想されているらしく、いかに夏バテ知らずといえどもゾッとする。低温が続いた梅雨の頃は、あれほど太陽を恋しがっていたのに誠に勝手な話である。まあ、暑いには暑いが生来の食欲は衰えることがなく、若年(未練がましい!)太りに拍車がかかっている。この1、2年でめっぽう太ったのは、たぶん表題の糠イワシのせいもある。
ところで山育ちのせいか魚の食べ方に劣等感を抱いていたのが、「煌」の大将にニシンの塩焼きを美しく平らげる方法を指南していただいてからは猫またぎとまでは言えないけれども人並み程度には進歩した、はず。
さて、青魚の地位を高めたいと『青魚下魚安魚讃歌』(朝日新聞社刊)という本まで出した髙橋治氏は「生か、焼くか、煮るか、捨てるか」を追求して筆を進めていた。「漬ける」は「胡麻漬け」くらいだったか。氏のような青魚食いの達人には遠く及ばないものの、糠を除いてサッと炙ったイワシは骨も軟らかく、ほろ苦い肝と和えるようにして口に運ぶと、まず強烈な塩辛さに目が覚めて次に瀬戸内のままかりではないけれど炊きたてのご飯がいくらでも入るという具合だ。しばらく暑い日が続きそうである。騙されたと思って、明日の朝食に是非。

日付
2006-08-08 (火)
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今日の逸品

今年も市原の友人から特産の梨「幸水」が届いた。今年は梅雨が長引いて日照不足だったらしく、出来を心配するメールも同日に届いたが、なんのなんの、シャリシャリとした食感と強烈な甘さは毎年のことながら期待を全く裏切らなかった。
ソウルの焼肉店ではタレに梨のおろし汁を入れていたが、甘みが増すだけではなく梨に含まれる酵素の働きで肉そのものが柔らかくなるという。うーん、理屈は分かるが、もう少し手頃な値段になったら試してみようと思っているうちに早5年。仁寺洞(インサドン)にあるその店には橋本奈々さんという若女将がいて、聞けば福島から嫁いできたという。食後に出してくれた心遣いのインスタントコーヒーや、韓国では珍しいおしぼりのサービスなど日本流が心地よかった。そういえば辛いけれどもコクのある蟹のケジャンにも、短冊に切った梨が入っていた。
こうして取りとめのない食べ物の話など書いているが、誰からも反応がなかったらいかがなものか。それこそ「梨のつぶて」である。

塩辛

日付
2006-08-07 (月)
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今日の逸品

梅雨明けの少し前くらいからイカづいている。安くて新鮮な夏イカ(スルメイカ)が旬のこの時期、手作りの塩辛がたまらない。子供だった頃、蝉時雨の降る暑い日の昼食に、実家の母はよく手作りの塩辛にナスの千切りを混ぜ込んだものを出していた。義母は淡い色合いの塩辛に大量の鷹の爪を入れて、上品なのに刺激的な味を出す。友人のよしこちゃんが黒光りする夏イカをいそいそと仕込み始めると、ご主人が「近々、あの飲兵衛たちを呼んで宴会する気だな」と目を光らせる。6月に泊まった不老不死温泉(青森県)の塩辛は売り物にしては絶品で、珍しくまとめ買いしたのに一日一瓶のペースで消えた。そろそろ誰かが作ってくれても良さそうな頃合なのだが……。自分で作ればいい? まさか! 老いず死なずの3名人がいるのに?

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